ずっと「自分がダメだから」だと思っていた
漫画が思うように描けなかった時期が、長くありました。
描くのは好きなのに、進まない。
完成度にも納得がいかない。
描くスピードも遅い。
そのたびに、
「努力が足りないんだろうな」
「もっと根性があれば」
と、原因を自分の中に探していました。
上手い人の原稿や、完成度の高い作品を見るたびに、
「自分はここまで辿り着けないんじゃないか」
そんなふうに落ち込むことも、正直よくありました。
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全国大会レベルを、基礎体力ゼロで目指していた
今振り返って思うのは、
当時の私はかなり無理な前提で漫画に向き合っていた、ということです。
たとえるなら、
基礎体力のトレーニングをほとんどしていない状態で、
いきなり全国大会に出ようとしていたようなもの。
しかもその横で、
日常や仕事でエネルギーを消耗し続けていました。
冷静に考えれば、うまくいかなくて当然です。
でも当時はそれが見えず、
「できない=自分がダメ」という式だけが、頭の中にありました。
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描けなかった原因は、才能じゃなく“環境”だった
最近になって、はっきり気づいたことがあります。
漫画が描けなかった理由は、
才能や覚悟の問題ではなく、
集中も回復もできない環境に長く身を置いていたことでした。
合わない働き方の中で、
常に気を張り、疲れを引きずったまま創作に向かう。
それを
「社会人なんだから普通」
「みんなやっていること」
と思い込んでいました。
でも、今ならわかります。
それは“普通”ではあっても、
私の創作には合っていなかった。
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合わない働き方から距離を取って起きた、静かな変化
合わない環境から少し距離を取ってみて、
最初に起きた変化は、とても地味なものでした。
いきなり絵が上手くなったわけでも、
スピードが劇的に上がったわけでもありません。
でも、ひとつだけ大きく変わったのは、
焦りが消えたこと。
以前なら見返すのがつらかった過去の絵を、
感情抜きで見られるようになりました。
「下手だな」ではなく、
「今ならここはこう描ける」
「ここは資料を見ながらゆっくり描く」
と、冷静に分析できる。
これは、私にとってはかなり大きな変化でした。
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今ならわかる、「楽しい修行」が必要だった理由
思えば、
「早く形にしたい」
「とにかく描きたい」
という思いが強くて、基礎を置き去りにしていた。
それが悪かったとは思っていません。
その時なりに、必死だったから。
でも今は、
数年かかってもいいから、
基礎から地道に積み上げたい、と思えています。
焦りがなくなったことで、
トレーニングそのものが苦行ではなくなりました。
楽しさの中に、ちゃんと修行要素がある活動。それを「疲れてない」状態で続けられること。
それが、今の私には必要だったんだと思います。
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環境を変える=逃げ、ではなかった
以前は、
「環境を変えるのは逃げなんじゃないか」
「我慢できない自分が弱いんじゃないか」
と思っていました。
でも今は、そうは思いません。
自分のタイプを理解して、
合わない場所から距離を取ることは、
逃げではなく調整でした。
やっと、
「ちゃんと修行が始められた」
そんな感覚があります。
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もし今、自分を責めている人がいたら
もし今、
「できないのは自分のせいだ」
と責めている人がいたら。
少しだけ、
環境という視点を加えてみてほしいなと思います。
今すぐ何かを辞めなくてもいい。
大きく変えなくてもいい。
でも、
「ここは本当に合っているかな?」
と立ち止まるだけでも、
見えるものは変わるかもしれません。
才能や努力の前に、
安心して向き合える場所が必要な人も、確かにいます。
少なくとも、私はそうでした。

元音楽教員。現在は「awabota」というコミュニティで、お金と自由な時間を同軸で作る仕組みを実践中。頑張ることをやめた方がお金がまわる。それを体感しています。
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