被介護・介助者も夢のための行動が出来る未来を

2.世界の前提を問い直す

従来なら「若者や周囲の健常者が犠牲にならなければならなかった」介護・介助の現場。

じゃあ未来は?

すいません結論から話しますと私はその道の専門家ではないので、今から書くことは、叶えるための具体案を欠いた妄想に過ぎません。

なーんだ、と回れ右をしてくださっても構わないのですが、でも夢って、まず描くことから始まると思いませんか?

その思いや、タイトルに共感する方には、ぜひ最後まで読んで頂けたらうれしいです。

未来には介護や介助AIも増えることでしょう。
この点はまずは発展していって欲しいかな、と個人的には思います。

それから、ここからの話はもう少し根本的な「そもそも論」へと移行するのですが⸻

そもそも、介護や介助が必要な身体にならなくても良い・高齢でも障害や病気があっても◯ぬまで自らの意思で自由に動き回れて、しかも、周囲に迷惑も掛けなくて済む

そんな未来って本当に不可能なんでしょうか。

AIやweb5以降へと、テクノロジーの発展が期待出来る世の中。

専門家ではないので勝手な妄想は少し無責任とは思いますが、その道にいらっしゃる誰かにこの記事が届く日が来たら嬉しいな…。

なぜこのような妄想に至ったかというと…

「足るを知る」ものの見方って幸せを感じるためにとても大切。

でも例えば、

「今日もご飯が美味しかった・お世話をしてもらえた・私の身体はまだ動く・目が見えて沢山のものを見ることができた・耳が聞こえて沢山の音を聞けた…私は幸せ」

と…
実際に、自分に言い聞かせている時、どれだけの人が心から幸せを感じられるのか?

感謝の心を持つこと自体はとても大切だし、心からそう思えている人もいると思います。

でも、ここでは、本心ではそうでもないかも?
という場合について。

もしかしたら人によっては、本当は日々、自分がこの世から消えゆく恐怖に怯えているのに「周りに迷惑を掛けられない」「感謝の気持ちを持ちさえすれば良い」と思考停止して、夢を持つことを諦め、日々の行動範囲も自ら狭めて行ってしまう

特に日本人はそのような思考回路に陥りがちなのではないかと思うのです。

この現状を今すぐ変えて行くのは容易ではないかも知れない。

でも、出来ることなら、AIなどの力も借りて誰にも迷惑を掛けず、一人一人が◯ぬまで堂々と夢を描き、それを実現するための行動を自由に出来る社会になれば…。

現在、その負担を負わなければならない側の人も、最後には老後を生きる。
現在の「人が人を介護する」システムは、介護する側もされる側も、負担や「迷惑を掛けられない」息苦しさがあって、幸せを感じにくい側面があると思います。

そこからAIなどの力を活かし、介護する側もされる側も、生活に選択肢を増やす社会へ。

私自身には、少なくとも今現在はそれを実現する具体案は無いのですが、世の中が変わるための、少しのきっかけになれればと思います。

この記事は、人によっては不愉快に思われたかも知れません。
にもかかわらず、最後までお読みくださりありがとうございました。

この記事を読んで嫌な気持ちになる人が一人もいないような社会が来ますように。

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